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医師の苦悩 医師の使命と社会保険制度 

 2月の下旬は、受験シーズンである。医学部医学科を目指す若者たちは、いま、必死に受験と取り組んでいることであろう。

 

 私の場合も、医学部受験は人生を決める大イベントであった。なぜ、医学部を目指したかといえば、母と祖母から、「一族からせめて一人は医者になって欲しい。」と、強力に頼まれたからである。もともと、私は幼いころから数学が得意であったので、理学部か工学部か法学部に進もうと思っていたのだが、お話好きという別の特性を生かすには、医学部もありかなと思ったのである。

 九段の日本武道館で行われた東京大学の入学式(1978年=昭和53年)、桜の花舞散る下で感じたことは、医師になる使命感というよりも、正直、受験戦争を戦い抜いた安堵感と達成感であった。しかし、大学のとき、私自身が難病を患い、特定疾患患者となって、病気の怖さ・切なさを嫌というほど味わい、病気を治す、患者を治すという医師の使命の大切さを、心の底から実感した。だから、自らの専門を決めるとき、迷いは一切なく、自分の病気を専門とした。

 医師国家試験に合格して臨床に入ってみると、私の病状などとは比べものにならない、悲惨な患者さんが多数いた。治らない病気も数多く、効果的な治療法がなく、死んでいく人々の山であった。治療法があって克服された病気と、そうでなく克服されていない病気、その差は歴然としていた。川におぼれて死のふちへと流されていく人々を救うには、方法があれば、どんなに費用がかかろうとも、救うというのが、24年前の常識であった。「人の命は地球より重い」当時の閣僚の言葉である。

 

 1980年代は、日本経済が絶好調の時代で、社会保険医療の枠が最善の医療の限界とほぼ同じであった。今から思えば、医師として悩み少なき時代であった。現在、私が医師になった24年前と比べれば、さまざまな病気の本態が解明され、治療法も見つかってきている。しかし、治らない病気、治せない病気も数多く、多くの人々が病気を治せずに死んでいという状況には変わりはない。癌は、治療法がかなり進んできたもの、いまだに克服されていない。その他、難治の疾患を数えたら、きりがない。

 1990年を境に、日本経済が没落し始めて、経済的限界から、社会保険医療のレベルが後退し始めた。一方、医学の進歩は続き、各種の病気の解明、治療法の開発が進んだ。これらの成果は経済的制約から、社会保険医療に取り入れられなかったものも、数多い。必然、社会保険医療の枠と最善の医療の限界が乖離し始めて、今は大きく隔たってしまっている。病気を治し、患者を救うという医師の使命を達成するためには、社会保険医療制度が障害となるケースが増えてきたのである。

 つまり、医療の使命を達成するためには、人の世の法令順守だけでよいというわけにはいかなくなってきたのである。自然界には、人の世の作る法とは、別の法、すなわち、自然のさまざまな法則がある。自然界の法に逆らえば、人は健康を損ない、命を落とす。そのため、医師は使命達成のため、自然の法を学び、研究する。国の法令や規則が、自然の法と対立するとき、医師は苦悩せざるを得ない。

 

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